昭和39年は、夢の超特急東海道新幹線の開通、ビルの谷間を高速道路がかけめぐり、東京オリンピックが開催された年です。車社会の幕開けでもあり、ガソリンスタンド(GS)は花形産業でした。
そんな時に1本の計画道路が畑を横切り、自分の人生を変えてしまいました。何を思ったか半農で役所勤めの父が、退職しGSを開業すると言い出しました。
跡取り息子は家業を継がなければなりません。正直で素直さだけが取り柄の自分には、商売人としての才覚がないことは分かっていたのでGS開業に「大反対」をしました。
押し切られ父は開業に踏み切りました。だが、慣れぬ仕事のストレスで体調を崩し長期入院、家族会議が開かれGSを売却するか、他に貸すかの話になりました。華々しく開業し、わずか半年でやめてしまったら世間の笑い者です。ここで2度目の「大反対」です。大学を中途退学し家業の立て直しを決意しました。
遊びまわっている同年代を横目に、朝7時から夜9時まで身を粉にして働きました。自分の時間などありません。わずか20歳の青年の肩に責任の全てが伸し掛かってきました。家業の立て直しが青春の全てでした。この時の様々な試練や苦労が人間形成の根幹となり、今日の自分があります。振り返れば足らぬ幸せでした。
私が生まれた昭和20年代は食糧も豊富でなく、食べたいものも食べられぬ時代でした。遠足の朝、母がそっとリュックに入れてくれた1本のバナナの味は今でも忘れません。メタボや生活習慣病など誰もいませんでした。足らぬから幸せだったのです。
腕にチクリと違和感をおぼえました。見ると一匹の蚊がとまっています。腹いっぱい血を吸ったと見え、まるまると膨らんでいます。重くて飛ぶことができません。下にポトリと落ち、つぶされてしまいました。腹8分目で満足しておけば助かったものを……。足りたがための不幸せです。
美しくなりたい、女性なら誰もが思う願望です。しかし、美人が幸せになれるとは限りません。美しさは少しばかり足らぬほうが、女性は幸せになるような気がします。
もらうのはあたりまえ、親の遺産に感謝など一切なし、「足るを知らず」双方一歩も譲らない、相続争いは勝っても負けても不幸になります。ご先祖様が汗して残してくれた尊い財産を分捕り合うわけですから、天罰こそ当たれ幸せになれるはずがありません。
「幸せのなかに住む人は幸せが分らない。幸せは手に入れるものでなく、感じるもの気付くもの。」小林正観さんの言葉です。
「素直」な人は「謙虚」になれます。謙虚な人は「感謝」に気付きます。感謝があれば「譲る」ことができます。譲り合う相続は感動し、こちらまでが幸せな気持ちになります。
「足るを知る」人は「足らぬ幸せ」に気付きます。
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